うつ と くつ《鬱屈》

日常の不満、モヤった事の掃き溜めブログ

自死について考える。|うつ と くつ《鬱屈》

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どうも、鬱屈です。

 

自死

 

嫌なこと・悲しい出来事が続いたり、物事がうまくいかなかったりして

鬱っぽい気分になったことがある人なら、本当に実行するとまではいかなくても、

一度は考えた事があるのではないでしょうか。

 

少し重いテーマではありますが、今回は「自死」について

僕の考え方を書いていきます。

 

※不快に思われる方がいるかもしれない内容となります。

 続けてお読みになられる場合はご注意ください。

 

↓初めてお越しの方はご一読ください。

utsutsu810.hatenablog.com

 

 

自死とはなにか

読んで字のごとく「自ら」「死」を選ぶこと。

著名な俳優さんの訃報が相次いだことも、記憶に新しいかと思います。

 

選択肢からそれを選ぶこと、選んでしまうこと

今回書きたいことを結論からもう言ってしまいましょう。

自死は「間違った選択」です。

絶対に反対します。

それは何故か。

 

「何も変わらない」から。

 

自死を選んだ人が実行するに至る流れには二通りあると思っています。

・長い間悩んで悩んで追い詰められた末、最終的に他に選択肢がなくなった

・一つの大きな出来事もしくは嫌な出来事が立て続けに起こり、メンタルが一番低いところまで下降しきってしまった結果突発的に

 

ただ、共通して言えるのは自分が置かれた嫌な状況から抜け出したい、

取り払って打開したいということなのではないかと思います。

そのために、自分とともに嫌な現状を終わらせる。

 

原因がまったく推測できない人も中にはいるでしょう。

が、ほとんどの人が何かを苦にして、だと思います。

それは生前誰かに悩みを相談していたり、遺書であったりに表れます。

 

いじめを苦に自死を選んだ人がいたとします。

それはニュースになり、残された家族や知人は「いじめや嫌がらせをなくしてほしい」

「同じような悲しみに遭うことのないようにしてほしい」と世の中に訴えます。

 

就職難から困窮し、国からの援助なども受けられず食うに困って自死を選んだ人がいたとします。

それはニュースになり、街でインタビューを受けた人や、ワイドショーのコメンテーターは

「こういった境遇にある人が支援を受けられず死を選ぶしかないのはおかしい」

「こういったことが今後起きてほしくない」と行政を非難します。

 

ここでちょっと考えてみてください。

今言ったような内容のニュース、無くなってますか?

 

亡くなった人に対して「悲しい」「つらい」という気持ちは、

近親者、また訃報を受けた人ともに嘘偽りはありません。

 

その人が最後に命と引き換えに発信した辛さ、嫌だったこと。

それは本来、とてつもないエネルギーを持っているはずです。

その人が亡くなっても、そのエネルギーは残された人の

「同じような事が起きないでほしい」という願いに変わって残るんです。

 

けれど、世の中は変わっていかない。

 

いじめや嫌がらせ、誹謗中傷は無くならず、何ならいい歳の大人がやってることのほうが多くなっています。

頑張って働いて、でも生活は苦しいままで追い詰められてしまう人だってまだまだいます。

 

変わらないんです。何も。

 

 

人の命が懸かっても変える事ができない。

だから僕は反対なんです。

 

今すぐには難しくても、もっと人が思いつめたり、追い込まれることの無い、

優しい世の中になることを願って。

 

不快に思われた方がいたらすみません。