どうも、鬱屈です。
人はたいてい誰しも、なんらかのお仕事に就いています。
今回はその「お仕事」について書いていきます。
↓初めてお越しの方はご一読ください。
人はなぜ「働く」のか
これについてよく言われるのは「生活するため」ですよね。
これは僕も間違ってはいないと思います。
ただ、少々足りないと思うので付け加えないといけません。
それは「”まともな”生活をするため」ということです。
昔、数年バイトしていた職場で正社員登用の目がほとんどないことに気付いて
転職したときのこと。
同じバイト先だった知り合いと会う機会があり、話の中で
「あそこ(元バイト先)は安いよね。働かざるもの食うべからずって言うけど、
働いてても食えません、だよね。」
と僕がこぼすと彼は、
「あそこは働いてるとは言えないからw」
と言っていました。
8時間以上拘束で、PCに向かってずっと作業して、
何なら本来社員がやるような業務も一部のバイトが担当して
・・・働いてるとは言えない?
その時は特に引っ張らず流しましたが、この返しは僕にとって心にかなり引っかかるものでした。
バイトであれなんであれ、人材として労働力になっているのだから、
まともな生活を送れるだけ稼げて当然だと思うんですよね。
生活の足しにしたい、お小遣いを稼ぎたい場合にバイトやパートはちょうどいいですが、
全部が全部その水準で、基本的にはそれ一本で食っていけないというのは悩ましいというか、なんだかなぁと思うところです。
コロナ禍も相まって、いろいろな事情で仕事に就けない人もいると思いますが、
安易に「何でもいいから働きなさい」とは思いません。
低賃金や全く興味のない分野でも「とりあえず働く」ことが、
必ずしもその人にとってプラスになるとは思えないですから。
働く人は、みな偉い
よく「真面目に働いて偉い」と言う人がいます。
確かにその通りです。
誰かが働くからこそ、社会が成り立つ。
”どんな形であれ”働く人は偉い。
でもなぜか、労働者間には正規と非正規という形で待遇や給与の面で格差があり、
なんなら正社員でも満足な給料をもらえていないなんて人もいます。
給料が安くても真面目に働く人、節約して切り詰めて必死に生きる人は
中でも偉いとされ褒められますが、状況は変わりません。
上司の「頑張ってるね」の一言だけで頑張れる神経は理解が追いつきません。
「日本国民は皆、健康で文化的な最低限度の生活をする権利を有する」
なんていいますが、時代が進むにつれて「最低限度」の度合いも変化し、
より良くなっていくのが普通と思いますが、今はまだ低く、まだまだ先は長そうです。