うつ と くつ《鬱屈》

日常の不満、モヤった事の掃き溜めブログ

「プラマイゼロ」はゼロじゃない?日ごろの行いが人生を上向かせるのに直結しないと思うワケ。|うつ と くつ《鬱屈》

f:id:utsutsu810:20210124044451j:plain

どうも、鬱屈です。

 

今回は「日ごろの行い」について最近ちょっと思ったことを書いていきます。

 

↓初めてお越しの方はご一読ください。

utsutsu810.hatenablog.com

 

 

格安ドメイン名取得サービス『エックスドメイン』

 

 

「良い行い」が当たり前?

さて「日ごろの行い」と書きましたが、

「良い」とされるものにも色々あって、私生活や仕事において

 概ね次のようなものがあると思います。

 

・私生活

 →人に優しくする。困っている人がいたら助けてあげるなど、親切にする。

・仕事

 大きな利益となるような結果を出す、顧客からの評価を上げるなどして

 会社に大きく貢献する。

 

これらは周りから褒められたり、場合によっては昇給など、

自分に実益をもたらすこともあります。

では逆に「良くない」とされることは?

 

・私生活

 →故意に人を騙したり、貶めるようなことをする。

  他人に嫌がらせをする。

・仕事

 →会社のマイナスになる、評判を落とすような行動や言動をする。

 

良くないとされる行いに関しては、一歩間違えば犯罪になってしまう場合が

あるため「やらない」のが基本だと思いますし、大体の方はそれが普通だと思います。

 

ではこの「間」にあたるものは?

悪いことは絶対しないが、だからと言って特段、良いことをするつもりもない。

良いと悪いの間。

とにかくフラットな状態。

 

僕はこれを「普通」だと思っています。

 

「良い」と「普通」の間の歪み

先ほど書いた「普通」の人について。

「いや、それ普通でもないでしょ」って思う人、いるんじゃないでしょうか。

こうも思っているでしょう。

「良い行いのところに書いてあるような人が普通でしょ」

 

そのように感じる人がいても別に変ではないし、

むしろ多いんじゃないかと思います。

 

何故か。

近年「クオリティの高さ」「良質なサービス」などが

価格競争の激化も相まって、安価に手に入れられたり、受けられたりします。

よりお金をかけずに、より良いものを提供してもらうことができる。

思うに、多くの人がこれに慣れてしまったんじゃないかと思うんです。

良い仕事はしてもらって当たり前。

こと仕事に関して言えば、良質なのが当たり前で、

その人達の「普通」になっているんじゃないかと。

 

もう一度言いますが、僕はそれが当たり前とは思いません。

良くも悪くもない。

美味くも不味くもない。

高くも安くもない。

 

それが「普通」です。

 

実際どうなのか

「何にも悪いことしてないのに」

失敗したり不運なこと、嫌なことがあったときにこう思う人はけっこう多いんじゃないでしょうか。

けれど、それはもしかすると間違っているのかもしれません。

「悪いことをしないのは基本中の基本。言うまでもない。」

「うまくいかないのは、周りにとってプラスになる、良い行いをしていないから。

 そんな普通のことができないのは、悪いのと大差ない」

こう考えると納得いきませんか?

 

実際のところはどうなのか、分かりませんけどね。

 

 

僕も以前は嫌なことがあったり、何をやってもうまくいかないときに

「何も悪いことしてないのになぁ」って思うことが多々ありました。

けど最近になって思うのは、悪いことしてないだけじゃ駄目な世の中だってこと。

 

だから僕は諦めました。

 

悪いことなんてしたくないし、人に迷惑をかけるようなこともしたくない。

だけど自分を犠牲にしてまで人の利益になるようなことをしたいとも思わない。

 

普通でありたいですもの。